学びの輪 晴好夜学

晴好夜学では毎回人生の達人を招いて、達人達の思う“よかまち” ”よかひと”についてお話をうかがいます。

晴好夜学 第18回「映画・そして・福岡を語る」

川島 透さん

日時:2014年3 月10日(月)

会場:建立寺

講師:川島 透さん

福岡市博多区生まれ。福岡県立福岡高校卒業後に上京し、原宿学校(現・東京映像芸術学院)を経て、1983年『竜二』で映画監督デビュー。『チ・ン・ピ・ラ』『野蛮人のように』『CHECKERS in TAN TAN たぬき』など、80年代カルチャーを代表するヒット作を生み出した。2009年に帰郷、映画監督としての再起動を睨みながら、福岡の街をさらに元気にする策を虎視眈々と目論んでいる。

開口一番、「話は短めにして、後の直会(なおらい)で盛り上がりましょう!」。賛同する参加者からの拍手とともに、会は和やかにスタート。開放的で自由闊達、進取の精神に富む博多っ子気質を、そのまま体言する川島監督。トークもついつい話が逸れて、脱線の連続! だが、それがまた楽しくてしょうがない。約1時間半の盛り上がりの中、監督としてのヒストリーにまつわる裏話や、福岡の街への思いを簡明直截に語ってくれた。

ヒット作『竜二』の誕生秘話

川島氏の監督としての映画人生は、自らが望んで手に入れたものではなく、どちらかというと偶然、いや必然的なものだった。

学校卒業後、映画会社の契約社員として、寝る間もないほど忙しく仕事に飛び回っていた川島氏。ところがある日、あまりの多忙に翻弄され疲弊していく自分に気づく。「休養が必要だ」。そう考え、友人の住むイタリアへの旅行を計画する。そんな矢先、声をかけてきたのが学生時代からの友人である、金子正次さんだった。「オレたちで映画を作らないか」。

それまで映画を撮った経験はなく、集まった仲間全員が素人。ましてや、休暇をとろうと考えていた矢先で迷いに迷ったが、結局、心のどこかに潜んでいた映画への想望が、心を突き動かしたという。主演俳優に金子正次、そして監督は川島氏ではなく、別の友人。川島氏はプロデューサーとして全体をサポートすることに注力した。みんなが情熱を傾けて制作に没頭し、ようやく出来上がった作品だったが……その出来は、「まるでダメ。自主制作の極み」だった。

そしてこの時立ち上がったのが川島氏。「世に出す前に作り変えたい。編集権をすべてオレにくれ。それが嫌なら、辞める」。仲間たちもこの提案を受け入れ、この時初めて「川島監督」が誕生する。早速編集作業に没頭するも、納得のいく絵が少なく、結局なんと全体の2/3を撮り直すという暴挙に。しかしこの英断によって生まれたのが、我々の知る『竜二』なのである。

作品は高く評価され、湯布院映画祭への出品後、全国で公開され大ヒットを記録。これを機に、監督・川島透は、『チ・ン・ピ・ラ』(1984年)、『野蛮人のように』(1985年)、『CHECKERS in TANTAN たぬき』(1985年)といった名作を手がけていった。

福岡の街がきっかけだったかもしれない

川島 透さん

数々のヒット作を手がけながら、映画監督として全身全霊で時代を駆け抜けてきた川島氏は、今から約4年半前、生まれ故郷である福岡に帰郷した。

地元の町を歩いてふと思い出したことがあるという。「これまで、『映画に興味をもったきっかけは?』って何百回と聞かれたことがあるんだけど、その度に『高校時代の友人の親戚が貸してくれた8ミリに魅せられて』って答えてきた。でも、もしかしたら、原点はそのずっと前にあったかも、って」。

奈良屋町に生まれた川島少年にとって、幼少期からの遊び場は、中洲を含む博多区界隈が中心。当時の中洲エリアは数々の文化の発信地としても知られており、特に映画館は最盛期の昭和32年には17館を数えていたそうだ。お好み焼き店を営んでいたお母様が大の映画好きということもあり、折に触れて映画を観る機会に恵まれるが、それは少年にとってある意味「当たり前」のことだった。

「思えばこの頃に、映画への慕情が培われたのかも知れないなと思うんです」。特別なきっかけではなく、当たり前の環境が育んできた好奇心。街が人を育てるということは、きっとこういうことなのかもしれない。

映画やってる時は人間なんだ

ひと度、映画製作に突入すると、すべてを捧げるほど没頭してしまうという川島氏。ほかのことは何も見えなくなって、それだけを考えているという。「日常とは一線を画すし、生きてる中で唯一『これだけで生きていられる』って思える時間なんです。映画やってる時は人間、やってないときは半分人間。大変かって? 楽しいにきまってんじゃん!」

ここしばらくは、CMやゲームの演出を手がけるなど、映画製作の現場とは離れた仕事をしているが、やはり川島氏を駆り立てるのは映画への情熱のようだ。実際今でも、頭の中にはたくさんの構想が詰まっている。幕末の争乱から戦前までの福岡の近代史、福岡藩武士・月形 洗蔵(つきがた せんぞう)など知る人ぞ知る時代の立役者、福岡人の形質の変化など、たくさんのテーマで福岡を掘り下げてみたいという思いがある。「若い人たちは日本史は知っていても、福岡の歴史は以外と知らない。さまざまな福岡のストーリーを手がけてみたい」。

育ててくれた街を新たな側面から、川島流に斬っていく。いったいどんな作品になるのか、考えただけでもちょっとワクワクするのではないだろうか。

福岡の魅力、そして足りないこと

川島氏にとって、愛すべき街・福岡。それを疑う余地はないのだが、第一線で活躍したからこその提言もある。

「福岡は住みやすくていいところだけど、真のクリエイティブ(一定以上のものを作る)土壌をもっと育てたほうがいい。クリエイターが優しすぎるのかもしれないけど、『OK』をというレベルが低すぎるんじないかな。それを上げていかないと、日本でも世界でも通用しないと思う」

ひたすらエゴイスティックに。ひたすらこだわりを持って。日常生活は確かに妥協と隣り合わせて、思いを貫くことは容易ではない。でも時には恐れずに、そう、『竜二』を手がけた時の川島氏のように、自分の信念に固執してみるのもいいかもしれない。そこから次のステージが開いていくことがあるのだから。


さて、鋭い言葉を受けて少し気の引き締まった参加者一同は会場を座敷へと変え、予定どおり川島氏を囲んでの直会へ。会が始まるや否や、ビールや酒を飲みながら、ざっくばらんに周囲と会話を交わし、垣根を取り払ってくれる川島氏。笑い声が絶えない、温かみあるひと時となった。もちろん、その後も春吉の町へと繰り出し、長い夜は続いたという……。やっぱりこの人、福岡人だ。よかろうもん!

(文:吉野友紀   写真:比田勝 大直)