1. HOME
  2. ブログ
  3. 晴好夜学〈第14回〉「春吉の10年を振り返る」

WALK

プロジェクト

晴好夜学〈第14回〉
「春吉の10年を振り返る」

 晴好夜学14回目となる今回は「晴好実行委員会」の10年間を振り返り、これまでの春吉とこれからの春吉についてみんなでディスカッションをしました。コーディネーターに晴好実行委員会代表の久芳志治さんを迎え、3人のパネラーとともに会を進めていきます。

コーディネーターに
晴好実行委員会代表の久芳志治さん

お父さまの代から続く老舗の中華料理店「紅蓉軒」で腕をふるう、下田浩一さん。10年前、結成当初から晴好実行委員会に参画しているという。

その「紅蓉軒」で皿うどんを食べていたときにたまたま声をかけられ、実行委員会に入ることとなった「太田佛具本店」の4代目を務める太田陽二さん。

現在、晴好夜市の実行委員長の座につく
「和田法務事務所」の和田好史さん。

以上3名が語る、春吉の魅力や今後の在り方。実に熱い夜になりそうだ、と講演を聞きに来た人々の目はきらきらと輝いていた。

晴好実行委員会とは

 約10年前に春吉の応援団として結成された「晴好実行委員会」。久芳さんいわく、まず手始めにホームページをたちあげたという。運営していくにあたり必要な資金は春吉に軒を連ねる各店に協力を仰いで集めたそうだ。そうこうしていくうちに「イベントをやってみたい」という話がでてきて「晴好夜市」開催に繋がった。
久芳
「この3人は夜市でそれぞれ重要な役割をもって運営してもらっているのでそれぞれの話を聞いてみましょう」
下田
「実行委員会をたちあげてホームページを作成した頃は、まだITが今のように発達していませんでした。『このホームページを見ている人は半分にも満たないんじゃないか』という不安があったんです。きっと、資金を協力してくださったお店の方のほとんどは、このホームページの存在を知らない…せっかく出していただいた協賛金もどこに使われているかわからないようじゃ意味がない、と思い始めました。だから、地域の人が実際に体験して協賛金がどのように使われているか目に見えるような活動をしようという話になったんです。そこで私がとっさに『祭りをしましょう』と言いました。この夜市の恐ろしいところは、言いだしっぺが長になるというところ(笑)。だから私が自然と実行委員長になって祭りを実現化することになったんです」
太田
「晴好実行委員会の集大成が夜市だと思っています。私は2回目から参加しているのですが最初はスタッフが10人~20人しかいない中で始まりでした。どうなるのだろうか…と最初は思っていましたがなんともう11回目を迎えることができました。みなさんからの協力があってこそ年に一度、こんなお祭り騒ぎができるのです。今ではお祭りが終わった次の週から『来年はこうしよう』という話がでるようになって、スタッフも成長しているんです。年々魅力を増す夜市に、ぜひ足を運んでほしいですね」
和田
「私は現・晴好実行委員長をやっています。お祭りは自分が楽しくないと周りも楽しめませんから、何より自分が一番楽しんでいると思いますね。最も印象に残っているのは2008年5月に完成した『弥平バーガー』です。これは、お祭りで提供できる春吉ならではの食べ物を作ろうという案が出たのがきっかけで開発されました。誰かの「ハンバーガーが食べたい」という小さなつぶやきから生まれたものなのですが、今ではすっかり春吉の名物になっています」

 フリーマーケットを主軸に音楽を披露するステージも用意するなど、第一回目は手探り状態で始まった。しかし、小さな祭りだったにも関わらず、想像以上にたくさんの人が来て賑わったという。これが、自信につながった。今では夜市も11回目をむかえ、ますますパワーアップしているから驚きだ。
 そして実行委員会の誰もが口をそろえて言うのは「参加した方々から『楽しかったよ』と言われるのが何よりも嬉しい」という言葉。のひと言が、実行委員会の春吉に対する情熱や愛情を表しているに違いない。

“春吉ブランド”の今後

 先ほど話にあがった「弥平バーガー」以外にも、実は春吉ブランドが存在している。

久芳
「晴好実行委員会がほかに力をいれているものの一つとして『晴好の風』プロジェクトがありますね」久芳「晴好実行委員会がほかに力をいれているものの一つとして『晴好の風』プロジェクトがありますね」

この『晴好の風』プロジェクトは2006年6月にスタートしたものだ。
なんと、みんなで田植え、稲刈りをしたあとはその育てたお米を酒蔵に持っていき仕込みまでを体験できるという。

和田
「普段ではできない体験ができるのが『晴好の風』の良いところです。地域の方に喜んでいただけるとやっぱり自分も楽しいですから。実際に自分たちの手で田植えから稲刈りまでをしてできたお酒「晴好の風」は、格別でしたね。今後もこういった活動を生かしていけたらと思っています」

久芳
「そもそもこの『春吉プロジェクト」は、春吉がほかの街と比べて「こんなこともやっている」という違いを出し、話題を作るために立ち上げた企画なんです』

 ここまで人々と触れ合える地域が存在するだろうか?ここまで地元に根付いた地域が存在するだろうか?この『春吉ブランド』が大きくなっていけば、きっとどの地域にも負けないような結束が生まれるに違いない、と確信した。

かわっていくもの、かわらなければならないもの

 ここで下田さんがホワイトボードに以前の春吉の地図を描き、ことこまかに歴史を説明してくれた。「そうそう、そうだったね」とうなずく年配の女性、「ここにはそんなものがあったのか!」と驚く若い男性。皆、年齢は違えど春吉を愛する人々だ。 息つく間もなく説明をする下田さんに、久芳さんは「よく覚えてましたね」と感心したほどだ。

太田「春吉のいいところは大きくわけて3つあると思います。1つめは利便性がいいところです。天神にも博多にも適度に近いのに、春吉には春吉ならではの良さがあります。やっぱり県外の方々からは『博多っていいね』と言われることが多いんです。その博多に近い春吉は、やはり生活がしやすいと感じます。2つめは刺激。春吉にはいい意味での刺激がたくさんあります。個人的には、皆さんに裏路地をもっと知ってほしいと思っているんです。時間があるときに、裏路地を歩いてみてください。我々地元の人間がたまに歩くだけでも、必ず知らなかったお店に出合えるんです。あっという間に時間が過ぎて、本当に楽しいですよ。それから3つめに色々な人が集まっているということ。子どもからお年寄りまでみんなが笑顔で住んでいる。こんな地域はそうないと思います。店同士も仲がいいんです」

和田
「たまに『治安が悪い』という声も聞きますが、治安が悪いなら夜はパトロールをすることを考えています。そうやってどんどん改善していって春吉の街をみんなの手でもっとよくしていきたいんです」

下田
「春吉の良さは、人情にあふれているところですね。日本人が忘れかけている心が、この街にはあると思っています。道ですれちがったら挨拶をしたり、誰かの家の子どもをみんなで可愛がったり。そういう、昔の古き良き日本の文化がここには残っている」

 変わっていくものはたくさんある。変えていかなければいけないものも、たくさんある。しかし、変えてはいけないものもあるのだ。それは春吉に住む人々の「笑顔」。そして、「心」なのかもしれない。

“春吉を担っていく若者を育てる

 晴好実行委員会の人数に関して、メンバー層の高齢化に関してなどの問題点もあがった。 個人的に感じたのは、もっと若い世代が今後の春吉を担って行かなければならないということ。先人が作ってくださった春吉の活気を絶やすことなく維持――それどころか年々パワーアップ――している実行委員会の名に恥じぬよう、若者がもっともっと活躍してくべきなのだろう。
 もともとある歴史を大切にしながらも新たなモノを創りあげる。だからこそ、春吉は今もなお輝いているのだ。その輝きを失うようなことは、してはいけないと強く思った。

文:株式会社チカラ 内川美彩 写真:比田勝 大直

関連記事