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晴好夜学〈第11回〉
「博多から世界へ」
中村信喬さん

 博多人形。古くから博多に伝わる伝統工芸の一つだ。素焼きのそれは、作る人によって表情も、雰囲気もまったく異なる。そんな博多人形師として初めてローマ法王に謁見した人物がいる。中村信喬さんだ。

講師:中村信喬さん
2012年3月13日 会場:建立寺

プロフィール/昭和32年、中村衍涯氏の長男として生まれる。現在は三代目として人形作りに投じる。』昨年は、イタリアで開催された「ラルーチェ展―現代日本造形の光―」に参加した。

幼い頃から人形の世界に

 福岡県の無形文化財に指定された博多人形師・中村衍涯さんを父に持つ中村さんは幼い頃から博多人形の製作に関わっていた。絵を描くのが好きだった。
 「父はリアルさを追及する人物でした。私がまだ小学生だった頃です。突然、父が『動物園に行くぞ』と言い出しました。2人で虎の檻の前に行きますと、父は突然、肉を差し出したのです。当然、虎は威嚇します。その様子を写真に撮ったり、絵を描いたり……その様子はまさに一心不乱でした。父は、何を作るにしてもまず本物を見なければ気がすまなかったのです」そんな父親のもとで育った中村さんの作品は、実に生き生きとしている。その姿形に魅かれ、中村さんのファンになる人も多い。
 1999年には人形師としては24年ぶりという「高松宮記念賞」を受賞。そして、このたびローマで開催された「ラ・ルーチェ展」に招かれることとなったのだ。

人形師の誇りと魂

 中村さんは言う。「人形作りで大切なのは人間性なんです」。曰く、人形は人の祈りから生まれたという。3月3日の桃の節句に欠かせない雛人形の前身は「お産人形」だった。「子どもたちがすくすく育ちますように」と“祈り”を込めて作られていたのだ。
 「作ることはずっと続けていけば技術が身につきます。でも、それだけでは意味がないのです。私の父が亡くなる際、震える声で私にこう告げました。『右手を握れ、その手に渡してやる』そうして父は目を閉じたのです。いささかスピリチュアルな話ではありますが、父は亡くなる寸前に私の手に、父の魂を宿してくれたのです」中村さんは、自分のご子息にも同じように話しているそうだ。人形師にとって命と同じくらい大切な右手。きっと、ここには私たちが想像もつかないような、無限に広がるパワーが秘められているのだろう。
 講演中、中村さんの右手をじっと見つめた。男性らしい隆々とした節々は、しかし女性のようなしなやかさも持ちあわせている。あの指で作られる人形たちは、さぞ幸せだろう。

誰のためにその手は存在するのか

 「最近の博多人形界には活気が感じられないんですよね」商売が大きくなりすぎたために、粗悪品が増えたのだという。これは他の伝統工芸にも言えることだろう。
 「誰のために、何のために作るかをわかっていない人が多いんです」中村さんは続けた。「私が人形を作り続けている理由はただ一つ。人のために役立つ仕事がしたいからです。そこがブレては、いい作品は生まれません」
 ドキッとした。私事ではあるが、これは自分の仕事のテーマでもあったのだ。ライターとして一番大切なことは「格好良い文章を書くこと」ではない。「読者に喜ばれる文章を書くこと」なのだ。どんなに自分が「これはよく書けたぞ」と思っても、読者が喜ばなければ、幸せにならなければ、何の意味も持たないのだ。それではただの一人相撲である。
 これは、他の職業にも言えることだろう。例えば飲食店で働く人は、お客を意識して美味しい料理を作らなければ、最高のサービスを提供しなければ、店が続かない。「人形師」というとどうしても仰々しいイメージを持ってしまうが、根元にあるものは私たちと何ら変わらない。「ものづくり」とはそういうものなのだ。
 「私の息子は今、彫刻を学ぶために大学に行っています。そこでは教授から『彫刻家になれ』『助教授になれ』などと声をかけられるそうです。親の自分が言うのもなんですが、息子の作品は学内でも、展覧会でも、高い評価を得ています。それは何故か。幼い頃から『人のためになる仕事をしなさい』と教え続けていたからです。その教えが染み付いているから、彼の作品には自然とそれが表れているのでしょう」大学では「誰のために作るか」なんて教えないのだ。「これを作ってみなさい」「好きなようにやってみなさい」というのがほとんどである。
 実際、私も学生の頃は「好きなように書きなさい」と教わった記憶しかない。
 「それを意識するだけで作品はガラリと変わりますよ。いってしまえば、作品に魂が宿るのです。眠っていたものが目覚めて、活き活きとしていきます」ああ、だから中村さんの作品は人を惹き付ける魅力があるのだろう。合点がいった。
 「私はものを作るために生まれてきたんだと思います。だからこれからも貪欲に、この世界に身を投じるつもりですよ」ほがらかな笑顔を見せた中村さんの瞳は、彼が作る人形たちのように凛々としていた。
  その目でどんなものを見て、その手でどんなものが生み出されていくのだろう。想像するだけで楽しくなってくる。人形師・中村信喬の挑戦はまだまだ終わらない。

文:株式会社チカラ 内川美彩 写真:比田勝 大直

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