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晴好夜学〈第6回〉
「地域に根付いた会社作りと進化し続ける明太子の味」
川原正孝さん

 今や福岡のお土産といえば、最初に名前が挙がるほど人気の「明太子」。今回の夜学には、そんな明太子を作って約60年の老舗企業「ふくや」の代表・川原正孝さんを招きました。

講師:株式会社ふくや代表・川原正孝さん
会場:建立寺

プロフィール/1997年に株式会社ふくやの社長に就任。毎年、博多祇園山笠に参加するほど、昔から山笠を愛している。地元を大切にする会社であり続けることを方針に、常に美味しい明太子を追い求めている。

「ふくや」の誕生

 「私の両親は韓国の釜山で育ちました。平凡な生活をしていた両親に、1939年から1945年にかけて、人生を変える出来事が起こります。第二次世界大戦です。電力会社に勤めていた父も、兵士として駆り出されることになりました。同僚や上司など、たくさんの知り合いを亡くしたと聞いています。父は、終戦後、何とか沖縄の戦線から生きて帰ることができ、福岡に到着しました。戦争という、命の大切さをまざまざと感じる出来事を体験し、人生観が変わった父は『誰かの役にたちたい』と、食料品を販売する店を中洲で始めます。それが、「ふくや」の原型です。父は創業時に『正しい金額だったら値引きもされずに、消費者も販売者も互いに利益がある』と考え、現金仕入れ・現金販売を徹底することにしました。
 現在、ふくやは年間約160億円の売り上げがありますが、父の意志を引き継ぎ、今でも現金仕入れ・現金販売を貫いています。他社と値引き合戦はせずにお客様に満足をしていただくのが、ふくやのポリシーなのです」

お金のかからないサービス

 「現金仕入れ・現金販売のデメリットは、第一に大手企業に絶対に引けをとってしまうという点です。そうならないために、父は”大手にはない商品”を売ろうと考えます。それが”お金のかからないサービス”でした。まず、母は来店されたお客様に必ずお茶を出すようにしました。こうすることで、コミュニケーションがとれるだけでなく、1分でも長く店にいていただけるのです。
 ある日、『俺の店には何で客が来ないんだ』と不機嫌な顔をしてお客様がいらっしゃったことがありました。母はそんなお客様を見て、内緒で茶柱をたてたお茶を差し出したのです。滅多に見られない茶柱を目にしたお客様は『これはいいことがあるぞ』と機嫌をなおして店を後にしました。それからというもの、”ふくやでお茶を飲んだら元気になれる”というジンクスがクチコミで広がったのです」

明太子誕生秘話と味の秘密

 今でこそ食卓に欠かせない存在となった「明太子」は、一体どのようにして生まれたのか。白ご飯に合う独特の辛みと鮮やかな色――。現在では様々なメーカーが明太子を販売しているが、それらの先駆け的存在である「ふくやの辛子明太子」の誕生秘話とは……?
 「ある日、北海道から塩タラコを仕入れて販売したのですが、どうにも塩辛くて食べられたものではありませんでした。どうすれば、みんなの口に合うような味に仕上がるのだろうか、と悩んでいたときに、子どもの頃から食べていたキムチを思い出したそうです。当時のキムチといえば、スケソウダラの内臓や卵が入っていました。そこでキムチのような味付けのタラコを販売してみることにしたのです」
 昭和24年の1月に明太子として店頭に並べてみたが、最初はまったく売れなかったという。生でタラコを食べる習慣がなかった日本人の舌には、辛すぎてあわなかったのだ。「辛すぎたから水で洗って食べたわよ」というお客も中にはいた。しかし、先代はひるまなかった。「じゃあ、日本人の舌にあう明太子を作ろうと意気込んだ父は、色々な人に食べてもらい、その都度味の感想を聞くようにしました。言われたところは素直になおす。何度も何度も開発を重ねてようやくできあがったのが今の明太子なのです。ようやく昭和34年頃から売れ始めましたから、開発には10余年の年月がかかりました」
 ふくやは現在でも直営店ではお客に商品を出し、アンケートをとって味の確認をとっている。お客様の声を直接聞くために、卸は一切やっていないのも、会社の方針なのだ。

社会貢献できる会社でありたい

 博多に生まれ、博多とともに歩んできた「ふくや」は、地元への地域貢献活動も忘れない。
 「この町とともに発展していく会社でありたい」と話していた先代の頃から、様々な社会貢献活動に取り組んでいる。1994年には「網の目コミュニケーション」を開設。社員の地域活動への参加を促し、祭りや伝統芸能・イベントなど、年間約40件を超える催しに協賛しているのだ。
 全国的にも有名な「博多祇園山笠」では、川原さん始め、経営陣・社員が一丸となって伝統を守る一躍を担っている。「明太子をここまで有名にしてくれたのは福岡の人です。だから、ふくやは福岡のためになることなら何でもしたいと思っています。上場しないのも、利益が出たらそのぶん、地域や社会のために費やしたいからなのです」
 ふくやが長年愛され続ける理由は、味の研究を怠らず、常にお客様に歩み寄った店作りをしている点だろう。
 明太子が白ご飯に欠かせないおかずであるように、福岡の人々にとって「ふくや」はなくてはならない存在なのだ。

文:株式会社チカラ 内川美彩 写真:比田勝 大直

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