はるよしのオリジナル日本酒を造る、酒「晴好 HARUYOSHI」プロジェクト。福岡のいろいろな酒蔵の魅力を知ってほしいという想いから、各回パートナーとなる蔵元が変わりバトンを受けついでいくのが大きな特徴です。
プレ版と01の「磯乃澤」に続き、02では「篠崎酒造」が醸造を担ってくれました。そして3蔵目となる酒蔵リレーを引き受けてくれたのが、筑紫野市の「大賀酒造」です。
遥か350年も昔から受け継がれてきた酒造り
福岡県筑紫野市・二日市。最寄り駅からも徒歩圏内にある「大賀酒造」は、延宝元年(1673年)に創業。福岡県で最も歴史ある酒蔵です。
江戸時代、庄屋としてムラの自治をつかさどっていた大賀家には、地域の米が集まり、敷地内には宝満山の伏流水が涌く井戸もありました。さらに裏手には博多まで繋がる川が流れるなど運送条件も整っていたことから、酒造りの事業をスタートさせたと言われています。
二日市といえば、菅原道真公ゆかりの「太宰府天満宮」のおひざ元。大賀家は太宰府政庁とも深い繋がりがあり、今でも太宰府天満宮の秋の大祭で神輿の牛車を引く牛は、大賀家の黒牛と決まっているのだとか。由緒ある酒蔵の、由緒ある酒造り…まさに歴史ロマンそのものです。
先人の知恵や技術を受け継いだ手造りの酒
大賀酒造と言えば、「玉出泉」「大賀」「筑紫野」など、福岡県糸島産の最高級山田錦や夢一献などの酒米を使った飲み飽きしないキレイなお酒が主流です。太宰府天満宮の飛梅の花酵母を使った「菅公の酒」も、天満宮との縁がある大賀ならではの雅な銘柄。ちなみに「大賀」は、南極観測隊の料理人に気に入られ、南極大陸に渡ったこともあるというロマン紀行も持ち合わせているのです。
酒造りの現場で印象的だったのは、長年蔵を支えてきた存在感のある太い木の梁や柱。蔵のひとつは140年以上も前に建てられたもので、今もここで作業が行われています。
建物の2階に設置された仕込み作業場には、昔ながらの木の甑が鎮座。もくもくと蒸気を上げて蒸しあがった酒米は、手作業で放冷後、2階の床板を外した穴から高低差を利用して1階のタンクへ直接投入。こうした仕組みは昔ながらのもので、安全に効率よく作業を進めるための先人の知恵だったのだそう。
見渡せば、米を運ぶ木桶や、蒸米を均等に広げるための櫂割(かいわり)など、おそらく古くから使われてきたであろう酒造りの道具がたくさん。そしてとても丁寧に扱われ、手入れされているのがわかります。
「作り手が少なくなったということもありますが、道具を大切にすることは基本です。酒造りが菌を扱う仕事というのはもちろんですが、料理の際に包丁や鍋をきちんと洗うように、決して特別なことではなく、長く大事に使っていきたいので」 と大賀喜一郎さん。大賀の歴史を、蔵を、酒を守っているのは、そんな蔵人たちの丁寧な仕事と、深い愛情なのだと実感しました。
「晴好」03プロジェクトの仲間として
今回の「晴好」プロジェクトを現社長の大賀信一郎さんと共に、中心的に担ってくれた喜一郎さんは、田植えから完成までの10カ月を振り返ってこう話してくれました。
「ひと言でいうと、“いい経験させてもらった”と思います。田植えや稲刈りなどを通じて、農家さんや飲食店、飲み手の方とすごく近い距離で触れ合えたのは新鮮で楽しかったですね」
「大賀のお酒は、派手さはなくても長く飲み続けられるような味わいが多いのですが、『晴好』03では日本酒初心者でもとっつきやすく、記憶に残るような仕上がりを目指しました。コロナ禍を越えてようやくみんなが一緒にお酒を楽しめる機会が戻ってきました。はるよしの町にもきっと、たくさんの人が訪れると思いますがそんな時に、日本酒を飲むきっかけになってほしくて。『晴好』03をゲートウェイに、いろんな日本酒を旅してもらえたら嬉しいです」
今年2023年に大賀酒造は350周年を迎えましたが、「伝統は受け継がれ、引き継がれるもの。先代たちが守り続けてきた伝統を400年、500年と続かせるために、何ができるかをしっかり考えていきたい」と喜一郎さん。 私たちもぜひ、応援していきたいと思っています!
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